雑感


2014.11.29


 さっき、ふと思ったこと。
 「行政」という仕組みは、本質的には何かを「守る」ために存在しているのだと思う。基本となるスタンスは、ディフェンス。そこで問題となるのが、いったい「何を」守ることを目指しているのかということ。人々の暮らしを守ろうとするのか、それとも別のものを守ろうとするか。その違いが、天国と地獄ほどの違いとなって現れる。


2014.11.14


 職場の研修で地方自治制度を勉強していて、「へー」と思ったことがありました。自治体が「町」から「市」に変わるには、人口などの要件のほか、「都市的施設」をそなえていることが必要なのですが、その施設に「映画館」が挙げられていたからです。
 昔は映画館は、今のシネコンよりも、もっと地元に密着した、人々が集う大事な場所だったのかもしれません。佐倉の新町商店街にも、かつては映画館があったといいます。今は個人でも、場所と機材と上映権を準備して、どこにでも映画を上映するところをつくることができる時代です。そこで、新町のおもてなしラボに、自主上映会でつなぐ「映画館」をつくろうと考えています。
 見たい映画を見るだけではなく、自分が人に勧めたい映画を上映するような映画館。そして、映画を見たあとで、見た人同士がお茶を飲みながら話したり、かかわりをつくっていくような映画館です。...
 最初に上映する作品は、「台北カフェ・ストーリー」、12月13日(土)開催です


2014.10.17


 佐倉新町のおもてなしラボにつくるミニライブラリーの名前ですが、『まめとしょ・おもてなしラボ』(通称:まめとしょ)という名前にしました。「まめとしょ」には次の3つの意味が込められています。


①マイクロライブラリー
 個人や民間団体がつくる小さなライブラリーの活動を通して、公共的な空間をつくることは、誰にでもできるし、個人でもできるということを示したいです。
②「まめ」であろう。
「まめな人」の「まめ」は、「忠実」と書くそうです。志に忠実に、誠実であろうという意味も込めています。
③文化の土壌を育てよう。
 土壌を改良するときにマメ科の種を播くように、豊かさを感じながら暮らせるまちをつくるための、文化をつくる土壌づくりを目指しています。


2014.10.10


小さな図書館メモ③
「もし被災地にいたならば…」
 
 もし、自分が何かの災害に遭遇して被災したとしたら、と想像してみる。
 家も財産も失っているかもしれない。
 友人や知人を亡くしているかもしれない。
 そんなとき、はたして生きる気力が残っているだろうか?
 
 自分だったら、そういうときこそ、
 たぶん本を読みたくなると思う。
 本を読むことで、別の世界のことを考えたり、
 癒されたり、勇気づけられると思うから。
 
 そして、瓦礫を積み上げて、本を集めて小さな図書館をつくるだろう。
 本を手にとる人が、少しでも前向きな気持ちになれるようにと、祈りを込めて。


2014.09.09

 

 先日参加した「マイクロライブラリーサミット」で考えたことを元に、小さな図書館について書いてみた文章です。

 

小さな図書館メモ②
『公共図書館と小さな個人図書館の違い』


 公共図書館は…、
 公共施設のひとつで、
 予算(税金)によってつくられる。
 施設には、たいてい「大きさ」が求められる。
 目的は、主に資料(本)を「収集」して、「提供」すること。

 公共図書館では「こうあるべき」が議論され、
 現場には、「あきらめ」がある。
 私たちと公共図書館との関わり方は、主に「利用」すること。
 だから積極的に関わろうと思っても、「要望」することしかできない。

 

 一方、小さな個人図書館は…、
 個人の想いからつくられる、自己表現のひとつで、
 人々のシェアと贈与の気持ちによって支えられている。
 そこには、お互いの顔が見える「小ささ」がある。
 目的は、本をツールにしているが、実にさまざま。
 本をネタに、新しい関係性を次々とつくることができる。

 小さな個人図書館では、「やりたいこと」が話し合われ、
 現場には、「情熱」がある。
 小さな個人図書館は、誰にでも、どこにでもつくることができるし、
 参加することも、応援することもできる。
 そして、個人の想いを実現するエピソードが、次々と生まれてくる。

 

 公共図書館と小さな個人図書館を比べてみて感じるのは、
 小さな個人図書館は、個人の生き方のひとつだということ。

 個人の想いを実現するような活動をする人が増えていけば、
 そのまちは、ぜったいおもしろくなると思う。


2014.09.05


 自分の住んでいるまちに、小さな図書館をつくる活動をはじめようと考えています。今はまだ、構想段階。小さな図書館についてのメモ書きをたくさんつくっているところです。

 

【小さな図書館メモ①】
 「おすそ分けするように、本もやりとりできればいいのに」


  私が住んでいるまちの公共図書館の予約本の順位を見てみると、順位1位の本は「村上海賊の娘」(和田 竜 新潮社)で、13冊の蔵書があるところに315人もの予約が入っている(2014.9時点)。こういう状況を解決するために、公共図書館に今まで以上にがんばってもらうというのもひとつの方法なのだろうけど、もっとふつうに、おすすめの本を、みんなでやりとりするような仕組みがあればいいのにな、と思う。
  昔、隣近所でよくやっていた「おすそ分け」みたいに。しょうゆが足りないときに、隣同士で貸し借りしていたみたいに。
  今は、おすそ分けなんて、ほとんどしないと思うけれど、本をやりとりすることから、料理のおすそ分けが復活したりしたら、すごく嬉しい。


2014.08.26

 

 私が住む佐倉の隣まち、冨里の有機農家である十四農園の吉井光さんが、もと「ビックカントリー」というレストランがあった場所に、その建物をリノベーションして「リトルカントリー」(千葉県冨里市大和804‐2)という場所を立ち上げようとしています。
 食に関係する映画の上映会を企画してほしいとの依頼があり、私もこの場所づくりに関わることになりました。第一弾として、吉井さんから希望があった「ある精肉店のはなし」を9月27日(土)〔1回目14:00~、2回目18:20~〕に上映いたします。
 以下は先日打ち合わせをしたときに、吉井さんが語った言葉をもとに、私なりに吉井さんが考えていることをまとめてみた文章です。吉井さんのなかには、「有機農家とは、そもそもは何をする人なのか」という根源的な問いがあって、それに自分なりに応えていこうとしているように感じました。


「ビックカントリーからリトルカントリーへ」

 

 有機農家とは、何を目指して働く人たちなんだろう?
 有機でつくられた農作物を消費者に届けること、それで生計を立てること、それも大切なことだ。でも、「有機」という言葉に込められた意味が、命のつながりのなかで、健康に幸せに生きていくことであるならば、一人ひとりがそれを体感できるように手助けすることも、有機農家の仕事のひとつとして、捉えてもよいのではないかと思う。

 みんなが身近な自然の循環を感じて、それに関わって暮らしていけること、もしかしたらそれが、有機農家が目指すべき最終目標なのかもしれない。

 だからこそ、自分がそうしたものと関係がないと思っている人たちに、小さく片手間でもいい、有機的なつながりを感じてもらえる「足場」をつくっていくことが必要だと思う。身近にある谷津のなかで、水や土や生き物のつながりを観察し、そのなかで自分たちの手で何ができるのか、試してもらう場所をつくりたい。

 自分自身と、地域や流域とのつながりが実感できる小さな世界をつくる。ビックカントリーからリトルカントリーへ。そこからからどれだけ豊かな関係が生み出せるのか、それを試していきたい。